最近、「教師の働き方改革」の一環として、研究授業を削減する提案が挙がっています。
負担軽減を目的としているのは理解できますが、私はこの提案には反対です。
授業が教師の本業で、研究授業はその授業力向上のための場であると思っているからです。
これまで毎年、年間3本~5本の研究授業をしてきた私の経験から言うと、
研究授業を通じて得られる学びの機会は、教師にとって非常に貴重だと思っています。
例えば、授業を公開し、他の先生方からのフィードバックを受けることで、自分では気づけなかった改善点や新しいアイデアを得ることができます。
私自身も研究授業を通じて授業力を高めることができたと感じています。
このような機会を奪うことは、教師としての成長を制限することにも繋がりかねません。
一方で、研究授業を負担だと感じている先生たちの声も理解はできます。
準備に膨大な時間をかけ、当日の緊張感やその後の反省会のエネルギー消耗もあり、確かに「大変だ」と感じるのも無理はありません。
しかし、本当に見直すべきは研究授業そのものではなく、他の業務にあるのではないのかな?と思っているんです。
例えば、「個別の支援計画」や「算数少人数記録」など、過剰に細かい報告書の作成です。これらの書類は必要性があるものの、形式や内容が細かすぎるため、多くの時間と労力を費やすことになります。さらに
「この書類、本当にこの形式で必要なの?」とか「この書類、いつ誰が活用するんだろう?」と疑問に感じる場面も少なくありません。
さらに、会議の数や時間の長さも見直すべき課題だと思っています。
私自身、色々な企業の方と一緒に仕事をさせてもらう機会があって、例えばBenesseさんやJICAさんなどとオンラインで打ち合わせをすることがよくあるのですが、30分なら30分、1時間なら1時間、本当に予定通りに終わります。
これって、必要なときに必要な分だけの会議をセッティングしていることと、
「残り時間が短くなってきたので、これだけ聞いて終わりにしようと思います。」という感じで終わるので、話し合いたいことに優先順位を付けているからこそ、時間内に終わらせるということができているんだなと感じています。
必要以上に頻繁に行われる会議や研修、提案に書いていることをただ説明して終わるような職員会議は、教師の貴重な時間を奪っていると感じています。
これらの業務を効率化することで、授業準備や研究授業に集中できる時間を確保することが大切なんじゃないでしょうか。
「教師の働き方改革」とは、
研究授業そのものを削減するのではなく、周囲の負担を減らしていくことで、研究授業が「負担」ではなく「学びの場」になるような工夫を進めることなのではないかというのが私の意見です。
みなさんはどう思いますか?
「業務改善」の一環として「研究授業を削減する」。これに賛成ですか?反対ですか?
ぜひ、あなたの意見を聞かせてください!より良い教育環境についてちょっとでも考えるきっかけになれれば良いなと感じています。
ただ、研究授業そのものも見直すことが大切だと思います。
(1) 指導案が詳しすぎる
(2) 指導案等の形式が厳しく指示される
(3) 上の人に字を直される 子供→子ども など。
(4) 研究紀要作成に時間をかけすぎている
印刷物はいらない。
(5) 国語の指導案検討に他教科専科教員が参加している。
(6)二重の指導案検討…低中高別の分科会で話し合った上に、研究推進部でも検討するというような時間のかかる方法をとっている学校があります。
詳しくはここでは書けませんが、参考になったら幸いです。