「なぜ教育現場はビルド&ビルドになるのか」ということを、たのけんなりに考えてみた。
教員の「働き方改革」とか「業務改善」が叫ばれるようになってからも、学校現場の「ビルド&ビルド」の体質はなかなか変わらへんな~って、感じています。
例えば、近々の話で言うと、
本校では2学期から“毎朝”「心の健康チェック」を“一人一台端末”で行うシステムが導入されました。
それまでも“月一”で“紙媒体”で「心の健康チェック」をするアンケートを実施していて、
本校では、どちらも維持するという…
運営委員会と呼ばれる“主任会議”でも、「それ、どちらもやる必要はありますか?」と意見して、その後行われる全員参加の“職員会議”でも、「やっぱり、それってどっちも維持する必要はありますか?」と意見しましたが、結果は変わらず…
つまり、“毎日”チェックしながら、“月一”で別の方法で更に同じことをチェックする…
まさに「ビルド&ビルド」。
他にも、児童の「出欠管理」をデジタルで出席簿から要録まで一つのソフトで完結させるシステムが学校に導入されたのに、
もともと出欠管理は紙媒体で行っていたこともあって、
わざわざ毎月紙媒体で出力して、押印してファイリングして保存するということをしていたり…
これもまさに「ビルド&ビルド」。
言い出したらキリがないので、ここぐらいにしておきますが、
本当に、学校現場には「スクラップする」という文化がないんです。
それは、なぜか。
理由は2つあると考えています。
一つ目は「手間・労働時間=コスト」という感覚が他業種と比べて弱いんだと思います。
教員には“残業代”が一切支払われません。
「定額働かせ放題」というワードが一時メディアで流行ったので、教員以外の人でも既に知っている人が多いかもしれません。
だからこそ、「時間=コスト」という感覚がかなり弱いんだと思います。
普通の企業や、一般の公務員なら「残業代」が発生するので、生産性の低い働き方をしていたら、上司から指導が入ると思います。
でも、教員には「残業代」がないため、生産性の低い働き方をしていても、
「一生懸命だね!」とか「細かいところまでこだわってるね!」「子どものために熱心だね!」など、
指導されるどころか、逆に評価されてしまう可能性すらあるのが実際の現状です。
二つ目は「やった方が良いかどうか」が判断基準になっているということ。
実際、前述の「心の健康チェック」のダブルチェックに意見した時に言われたのが、そこでした。
「やった方が良い。」
「やった方が良い。」それは、私も同感です。
でも、その考え方をベースにしていては、全てやっていかなくてはいけなくなると思っています。
配膳指導するために、毎日食器の置き方を写真で撮って、大型テレビでキャストして見せた方が良い。
毎朝交通安全を見守るために、先生達が早朝の勤務時間前でも通学路に分散して立った方が良い。
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では、どう考えれば良いのか。
考えていくべきは、「その労力に見合う効果が得られるかどうか(コストパフォーマンス)」「それは本当に教員がすべきことなのかどうか」ということだと思っています。
そう考えると、
「心の健康チェック」をタブレットで毎日チェックしているのに、更に月1回、紙ベースでアンケートを行うのも、どれだけの効果が得られるのか…
毎日5分で給食を食べている担任が、毎日写真を撮ってキャストをするのと、
気付いたときに「ご飯は左下、汁ものは右下、おかずは真ん中奥!」と一言いうのと、効果はどれだけ違うのか…
街頭の交通安全指導、警察に協力してもらったりしてはどうか。
そもそも、勤務時間前に教員が街頭に立って、どれだけ“交通安全”に効果があるのか…
「やった方が良い」という判断基準だと、全て「やった方が良い」に決まってる。
本当に働き方改革をするのなら、今やっていること、これから提案されることについて、
「時間や労力をかけて、どれだけの効果が得られそうか。それって本当に教員がすべきことなのかどうか。」ということを今一度考えて、声を上げていく必要があるのではないかなと思っています。
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