※改訂版をアップしました。【2025/7/1】
令和7年度(2025)ver.
(指導案・発問・ワークシート・パワポデータ)
1.
・復習(聖徳太子~聖武天皇の時代はどんな時代と言えば良いかな?)
「天皇中心」:平和 「公正公平」:誰もが頑張れるように・国の発展を
( ↑1時間目の布石)
・「これまで都は平城京(奈良県)にあった(だから聖武天皇の時代は「奈良時代」と呼ばれている)が、時代が流れ、平安京(京都府)に移された。」という事実を伝える。
(↑3時間目の布石)
⇒ここからが平安時代
・貴族(天皇のために働く人たち:役人)の一人に[藤原道長]という人が居た。
・この人が世間に向けて発信した川柳[望月の歌]を紹介
すっげー調子に乗ってる!
それだけのことを言えるっていうことはかなりの力をもっていたってことだ。
<どうして道長はそこまで力をつけることができたのかな?>
・予想
ほかの貴族を追い出した
たくさんの土地を手に入れた
高官を独占していった
・検証
4人の娘を天皇に結婚させた = 天皇家とのつながりを
⇒ 道長と子の頼道が「摂政」に
2.
すっごい広い!
(この時間に予想する上で大事 ※何でもやろうと思えばできるスペースがある)
・[貴族の一日]を提示・配布 → わかったことや疑問に思ったことは?
仕事のあと、何してるんやろう?
<貴族は仕事の後、何をしているのだろう?>
・予想
遊んでいるんでは?
仕事をしているのでは?
・検証
琴や囲碁、蹴鞠
かな文字誕生
文学
和歌
・平安時代の貴族のくらしはどんな暮らしと言えば良いかな?
華やかで優雅な暮らし
和風な暮らし ⇒ 日本風の文化(国風文化)
●こんなに急に「和」の文化(国風文化)が発展したのはなぜ?
・遣唐使が廃止されて、外国(中国や朝鮮半島)からの影響が小さくなったため、日本独自の文化が発生した。
3.
・ふりかえり
貴族はとても華やかな暮らしをしていた。
・どう感じる?
すごい地味…
・[平安時代に建てられた阿弥陀堂]を提示⇒この資料からわかることは?
京都が多い
⇒ 都に住む貴族が好んだんだなということがわかる
<どうして平安時代の貴族は華やかな暮らしをしているのに、地味な阿弥陀堂を好んで作ったのかな?>
・朝廷での様々な人間関係
・自分や家族の身に起こる病気や死
→ 苦しんでいた
・仏教が廃れ、現世が終わってしまうのではないかという不安が広がった
⇒ 阿弥陀仏に念仏を唱えればよいという教えが
貴族だけでなく、庶民にも広がった
・きらびやかな極楽浄土に対するあこがれ
→貴族や天皇による熊野詣でや多くの阿弥陀堂が作られるようになった





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