1.<室町時代の次の時代はどのような時代なのかな?>

・[4枚の勢力地図(c15**]を配布・提示

●資料から読み取れることは?

     いろんな大名が領地争いを繰り広げていることがわかる。

    武将だけでなく、お寺の力も強かったことを押さえておく(金沢は本願寺)

       (信長の政策を考えるときに重要な既習事項になります)

    結局、どのような時代と言えば良いか、一言で言うと?

     ※このときに、         時代という枠を提示しておく。

     また、出てきた考えを「戦国時代」を表すものと「天下統一」を表すものに分類整理

     おさえるべきは以下の2点。

      ・全国制覇を目指して、たくさんの争いが起こっている時代・・・天下統一

      ・実力さえあれば、身分関係なく誰でも頂点を取れる時代  ・・・下克上

        ※これまでのような身分や家柄ではなく、実力主義の世の中になっている。

 




 




2.

  ・[c1533]を提示
c1533

[c1582(自害直前の勢力図)]提示
c1582a

   信長すげー!!


<織田信長は何をしたのかな?>
織田信長

  ・予想
  仲間を集めたのではないかな?(源頼朝の既習を基に出てくると思います)


・信長がしたことを調べて考える。
   (「何をしたのか」+理由(なぜしたのか
or何か良いことがあるのか)

    鉄砲隊

    楽市楽座、関所の廃止、南蛮貿易(お金の獲得)

キリスト教保護(仏教勢力への対抗)

(同盟 ※教科書の端にちらっと書いてあるので出てくる可能性があります。)



 


  ・政策の対象を観点として仲間分けする

    「対自分」

      新戦略:鉄砲隊(武力アップ)

       (同盟 ※教科書の端にちらっと書いてあるので出てくる可能性があります)

      南蛮貿易(財源確保)

    「対庶民」

      キリスト教保護(仏教勢力への対抗)

      楽市楽座、関所の廃止(財源確保)

                        

 


  キリスト教を保護したのはなぜ?

    仏教勢力に対抗するため(数を減らさせる)

 

信長が成し遂げたことは何?(信長の成果)

     仏教勢力を弱めることができた。(実際、寺社勢力が激減)

                      ※[c1533][c1582(自害直前の勢力図)]で検証可能

     商業を盛んにさせた

     新たな戦い方を日本に持ち込んだ

 

  ・織田信長は天下統一を果たせたの?

     果たせていない。途中に明智光秀(自分の弟子)に裏切られた。

 

  ●これだけのことをしてきたのに、どうして身内に裏切られることになったんだろう?(信長が残した課題)

 信長の政策は全て信長の利益であって、他の武士が得することはほとんどなかったため



 

 

 


3.

  ・[1582b]を見せて、織田の死後、3つの大きな勢力に分かれて、その一つが秀吉だったということを確認
c1582a

c1582b

  ・[1591]を見せて、秀吉が日本初の天下統一を果たせたことを確認
c1591

<なぜ豊臣秀吉は天下統一することができたのだろう?>
豊臣秀吉

  ・予想

    「対武士」の政策を欠かせなかったのではないかな(信長の反省)

 

  ・検証

    太閤検地、物流の流れ、鉱山支配、刀狩り



 


  秀吉の狙いは何だったのだろう?

    「対自分」

      鉱山支配、物流(財源確保)

    「対庶民」(農民)

      太閤検地、刀狩り

 

  予想していた「対武士」の政策がないように思うけど、秀吉が裏切られなかったのはなぜ?(秀吉の成果)

    庶民が刀を持てなくしたことは、秀吉だけでなく他の武士にとっても庶民の統制が楽になる政策だった。

    農民が仕事に専念して、確実に税金を徴収できるようになった(財源確保)

 

農民は農民のまま働くように縛り付け、また反乱を起こそうと思っても起こせないように武器を奪うことで武士が世の中を支配できるしくみを整えた。

 (実力主義の世の中。自分の支配下で反乱を起こさせないようにした)

 

 

   ・[秀吉の遺言状]を紹介

   ●ここまで最強になった秀吉、どうして最後は惨めな遺言状を書かざるを得なかったの?

(秀吉が残した課題)

     各地の武将の力を制御(抑制)する政策をとらなかったため、未だに下克上の雰囲気があった。

     だから、秀吉は自分の死後、息子はすぐ誰かに殺されると感じていた。



 

 

 


4.

   ・[c1600a]を見せて、豊臣秀吉の死後、徳川と石田の2大勢力に分かれたことを確認
c1600a

※このときに家康も各地の大名を家臣として従わせる形をとったことを確認

   ・天下分け目の戦いと言われた関ヶ原の戦い後、徳川が全国を支配することになった→[c1615]提示
c1615

 

  <全国支配をした徳川家康はどんなことをしたのかな?>

   ・予想(やったこととその目的を考えさせる。織田や豊臣の学習を活かして予想するように促す。)

     前時の学習を活かして「いかに家臣の力を弱くするか」を主眼に置いた政策が出てくるかと思います。

   ・検証

    「対武士(大名)」

     一国一城令:拠点を作らせない

     江戸幕府の仕組み:大名や御家人の取り締まり

「対庶民」(僧侶)

寺社の取り締まりを強化

 

   ●一国一城令はどんな意味があるの??(家康の成果)

     信頼の置ける大名の武力だけを保証してあげることで、全国の争いをなくし、平和な世の中にできる。

     信頼できない武士の武力を下げ、反抗できないようにした。

 


 

6.

   ・慶長8年(1603年)212日に征夷大将軍に就いて幕府を開いた家康は、2ヶ月後の慶長8年(1603年)416日には徳川家康の息子の徳川秀忠に位を譲る

<せっかく天下統一を果たした徳川家康。どうしてすぐに将軍を息子にゆずったの?>

  ・予想

  ・調べる

    徳川家が代々将軍の地位を受け継ぐことを天下に示すため

争いのない、平和な世の中を作った

 

  ・果たしてその狙いは達成することができたのだろうか?(年表から検証する)

    争い事がなくなっているので、平和な世の中になったと考えられる。

  ・「争いのない、平和な世の中になった」のはこの戦国時代の成果としてあげられる。

 

では、平和のために犠牲になったものはないのかな?(家康が残した課題)

    農民の自由(刀狩りや太閤検地で農民の身分や生活が固定され、自由がなくなった)

 
      → つまり、「自由」の犠牲の下で「平和」が成り立っていたんだな。



次の単元

2019年度ver.