1.
平安時代の復習
・貴族は豪華な暮らしをしていた。
●お宝たくさん。でも、庶民は「貧窮問答歌」でわかったように貧しい
・なぜ貴族は庶民に襲われないんだと思う?
警備が居たんじゃないかな?
→ 地方の有力者(農民)が“武装”し始め「武士」となる。
その中の一部の武士が都の貴族の警備やボディーガードを担当していた
※「武士」の起こりには諸説ある。
<武士はどのような生活をしてたのかな?>
●生活を知るためには何を知ればいいかな?(縄文・弥生時代の復習)
衣・食・住
・調べる
衣:狩衣(正装)・直垂(普段着)・大鎧(晴れ着)
食:ごはん、主菜、副菜、お酒
住:豪華ではないが、それなりの大きさ
●武士の暮らしはどんな暮らしと言えば良いかな?
質素。
貴族よりは良くないが、農民と比べるとかなり良い。
・[平家物語の2枚の絵図]を配布・板書
●この資料から、どう世の中が変化したことが読み取れるかな?
最初は武士が貴族に道を譲っている…貴族が上
最後は貴族が武士に道を譲っている…武士が上
⇒これからは武士の世の中になるんだな。
≪武士がどのように実権を握り、政治はどのように進められたの?≫
2.
・[平清盛]の名言「平家にあらずんば人にあらず」を提示
どんだけ調子のっとんね~~ん!!
めっちゃ力もってたんやな~!
↓
<平清盛はどのようにして権力を握ったのかな?>
・予想
娘を天皇の后にした。(政略結婚)…平安時代の既習から出てくると思います。
いっぱい人を殺しまくったんじゃないかな
・[検証用資料:平清盛 年表]を配布 ※教科書は開かせない
平氏一族で役職を独占している
源頼朝の父を武力で破る(平治の乱)
娘を天皇の后に
孫が天皇に
まとめ
武士が武力を利用して政治をするようになった。また、政治を円滑に行えるように、娘を天皇の后にして、役職を独占していった。だから平清盛は権力を握れたんだ
・どれだけ勢いがあったのかを確かめるため、[石橋山の戦い]を提示
→平氏の圧勝(源氏は7人で敗走)
※この時に、以下の2点を確認。
①1180年8月の出来事だったこと。源氏は7人しか残らなかったこと
(次の時間の布石)
②なぜ勝ったのかということを考えさせ、
「人数こそ戦力だ」という意識を持たせる。
(元寇の学習のための布石)
3.
・[富士川の戦い]を提示(人数は隠しておく)
・源氏だけは人数を出す
そのときの源氏の勢力は20万人
・平家の人数を予想させる
・人数を発表
7万人
・どっちが勝ったと思う?
源氏…人数が多いから(ここでも「人数こそ戦力だ」をおさえます)
●気になることは?
(以下の2つが出てくると思いますが、まずは平家サイドを学習して、その後源氏サイドについて学習していくことを伝えて下さい)
平家サイドなぜ平家は弱くなったのか
源氏サイドなぜ源氏はそれだけ人を集められたのか
<平氏による政権が続かなかったのはどうしてか>
・予想
平氏にみんなが不満を持っていたのではないかな?
平氏が嫌いだったんじゃないかな?
・検証資料[検証用資料:平氏のくらしについて]配布
・平氏が貴族のような暮らしをしているぞ!
・他の武士達が召使いのように使われているぞ
まとめ
同じ武士出身の平氏が貴族のような暮らしをして、贅沢をしている。そして、「平氏でない者は、人ではない」という人も居るほど、おごり高ぶっていた。その状況に武士たちは怒りをあらわに。
そして、それまで政治をしていた貴族が、平氏の思うままに政治を行うことに不満が高ぶっていたからだ
4.
<どうして源頼朝は力を付けることができたのだろうか?>
予想
・天皇に娘を…
※前時までの既習から出てくると思います。
・仲間を大事にしていたのでは?(褒美をしっかりしていたのではないかな?)
※前時の既習から出てくると思います。
検証:■word資料[武士団の始まり]を配付
・武士にとって一番大切なのは土地で、それを頼朝はしっかり保証し、分配することを徹底していたから御家人からの信頼を得た。
・「ご恩と奉公」の関係
・その後、鎌倉に都(大和朝廷)とは違う、武士による政治を行う拠点「幕府」を作った。
→鎌倉時代になる。
まとめ
頼朝は領地の保証と分与という「ご恩」をしっかりして信頼を得て、頼朝のために御家人が「奉公」するという「ご恩と奉公」という関係で強く結びついていたということがわかる。
5.
その後、頼朝が死に、源氏も3代で途絶え、その後の幕府の政治は将軍を助ける役職の執権についていた北条氏に引き継がれた。
幕府が全国を支配している状況をよく思っていない朝廷
■資料(歴史漫画の抜粋)を配布
<朝廷から倒幕を命じられた当時の武士たちはどうしたのだろう?>
予想
・朝廷軍について、幕府をつぶしたんじゃないかな?
・無視したんじゃないかな?
・幕府軍について戦ったのではないかな?
検証:教科書
・朝廷の命令を無視するどころか、朝廷の軍を打ち破った
●どうしてこんなにもたくさんの武士たちは幕府を守り、朝廷を返り討ちにする決断をしたのかな?
・頼朝のご恩が忘れられなかった。だから頼朝が作った幕府を壊すことができなかった。(北条政子の演説)
・不安定だった武士団の生活を安定して発展させてくれたご恩が忘れられなかった。
まとめ
逆に朝廷の軍を打ち破った。それは、御家人たちが頼朝のご恩が忘れられなかった。だから頼朝が作った幕府を壊すことができなかったからだということがわかった。
→全国の武士が幕府を壊さないように、北条氏が武士の裁判の基準となる法律(御成敗式目)が作られ、幕府の支配力がいっそう強くなった。
6.
・[導入資料:元の領土]で当時の元の勢いを理解させる。
・[蒙古襲来]を提示して、気がついたことを発表させる。
火薬を使ってる
武士が傷ついている(血だらけだ)
人数は元軍の方が多いのかな?
・「元寇」という出来事で、元(モンゴル)が2度に渡って日本を襲撃してきたということを伝え、元軍と日本軍の人数差について知らせる。[元寇人数]
・勝ったのはどっちだと思う?
世界は日本!→えーー!!!
<どうして日本は人数が少ないのに、元に勝つことができたのか>
・予想
恩賞を得るために一所懸命に戦った
激しい暴風雨(神風)にあった
※勝因を3つ探し出すように指示をする。
・手柄を挙げて、領地を獲得するために一所懸命だった。
神風
石塁などの準備
気合い(命がけ)
まとめ
元との戦いは、命がけで戦ったのだがご恩の役目を十分に果たせず、ご恩と奉公の関係がくずれ、幕府の衰退へと繋がったと言うことがわかる。この時代の弱点は、土地ありきの関係だったことだ。
7.
・日本が勝った
・しかし、その後1333年に幕府が滅びた
<どうして幕府は勝ったのに、すぐにほろびたのか?>
・予想
人数が減りすぎたのではないか
褒美の量をめぐって争ったのではないか
ご恩と奉公の関係が崩れていったのではないのか
・検証
一所懸命に戦ったのに、恩賞がもらえなかったから。
ご恩と奉公という武士と幕府との関係が崩れた。
●武士達は何の為に元の大軍と命をかけて戦っていたの?
手柄を立てて、恩賞を得るため
●そんなに土地って大事?
武士にとって、土地はすごく大事
武士にとって、土地は命のようなものだった
土地は家族を住まわせたり、収入源だったりするから武士にとっては大事なんだ。
まとめ
元に勝った。しかし、土地がもらえなかったため、武士の不満が爆発して幕府の滅亡へと向かっていったことがわかる。この時代の弱点として、強い絆は土地ありきの関係だったことがわかった。
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