1.聖徳太子の写真を見せる
聖徳太子

   ・知っていることを話し合う

     法隆寺

     冠位十二階

     十七条の憲法

      ※この3つは歴史が好きな子が居れば、出てくるかなと思います。ただ、出てこなかったら、十七条の憲法と冠位十二階という制度を作った人だということを伝えて下さい。

  ノートにメモさせる。(次時の導入時のために)

   ・補足

[蘇我氏家系図][推古天皇]と聖徳太子の関係を確認

 (太子の父の妹が推古天皇)

 (特に太子は蘇我氏だということをおさえる)

3時間目のための布石になります。

聖徳太子の地位(摂政)を確認する

 (学校で言うなら、天皇は校長、摂政は教頭)



蘇我氏 家系図


天皇(校長先生)がルールを決めるならわかるけど、天皇(校長先生)を差し置いて、摂政(教頭先生)が憲法(法律)や国のルールを決めるって不自然じゃない?

        

  <天皇でもない聖徳太子が国のルールを作ったはなぜ?>

   仮説

    ・天皇の命令で作ったのではないかな

    ・聖徳太子が天皇よりも優れていたのではないかな

    ・天皇を助けるために聖徳太子が立ち上がったのではないかな

   検証

    豪族を支配するのに苦心していた状況で、天皇を助ける身分であった摂政である聖徳太子が立ち上がった。

    理想の国を作るために聖徳太子が作った

 


2.

復習:理想の国を作るために聖徳太子が作った

<聖徳太子の理想としている国作りとはどんな国作りなのだろうか?>


  ・予想

    豪族が天皇の言うことを聞く国

    天皇が大事にされる国


  ・検証

    天皇中心の国(蘇我氏と共に)

    能力や功績で評価されるような国

    仏教を大事にする国

  理想は分かった。では、その理想を踏まえると、聖徳太子が表れる直前(古墳時代の末期)はどんな現状だったのだろう?(古墳時代の課題)

     天皇の言うことを聞かない豪族や大王がたくさんいた。

     能力ではなく、出身や家柄で身分が決まっていた。

     仏教が広まっていなかった

  仏教は置いておいて、天皇中心でなかったことや出身で身分が決まっていたことはどのような問題点があるの?

     争いが起こりかねない。(既習で考えられるかと思います。※弥生~古墳時代)

     平等でない。不公平

  結局、聖徳太子はどんな国にしようと考えたの?

     平等で平和な国作り


 

 

3.小野妹子の写真を見せる
小野妹子

   ・知っていることを出させる

   ・遣隋使であり、聖徳太子によって派遣された中国への留学生だということを伝える

遣隋使派遣ルート

  <どうして聖徳太子は遣隋使を派遣したのかな?>

   ・予想

   ・検証

     ・新しい国づくりのため

        ・仏教を取り入れるため

        ・進んだ制度や文化を取り入れるため

        ・学問を取り入れるため

            つまり、色々教えてもらうためだ。

 

   中国の皇帝への手紙を紹介する
中国皇帝への手紙

   なぜこんな失礼だと思われる手紙をわざわざ出したのだろう?

      世界でも大きな力をもった中国と対等な関係を結ぶことも目的としていた

        実際、隋からも日本へ使者が派遣された

 

   

           ●その思惑は成功したと思う? 成功したのかがわかるところはあるかな?

      成功

       実際、隋からも日本へ使者が派遣された

(教科書p28「遣隋使・小野妹子について」の最終文)









4.[中大兄皇子]と[中臣鎌足]は蘇我氏をほろぼす事件があったという事実を伝える

  中大兄皇子中臣鎌足蘇我入鹿



<何のために2人は蘇我氏をほろぼしたのかな?>

    ・予想

    ・検証

      天皇をしのぐ勢力をもった蘇我氏を倒すことで、天皇中心の国作りをしようと考えたため  この事件を「大化の改新」ということをおさえる

 

    つまり、蘇我氏を滅ぼした目的は何?(まとめ)

      この2人は聖徳太子と同じ意思をもち、天皇中心の国にしようとしたんだ!



 

5.<大化の改新で世の中はどのように変わったのかな?>

    ・調べる

      ・都から全国に支配を広げていく仕組みが整備された

      ・年号を定められた

      ・豪族が支配していた土地や人々は国のものになった

      ・有力な豪族は貴族として政治に参加するようになった

      ・本格的な都ができた

      ・律令ができた

      ・租・調・庸といった税制が完備

      ・都や九州を守る兵士の役を務めなければならなくなった

      ・都には各地から多くの産物が運ばれる

    果たして、国民にとって住みよい国になったのかな?(予想させる)

      ・都に住む貴族目線と地方に住む庶民目線とに分類整理しながら板書

        → 実際、この時代の人はどう感じていたのかを次から勉強していこう

 



6.<人々の暮らしはどのような暮らしだったのかな?>

    木簡を紹介して、そこからわかることをピックアップ

    当時の食事の写真や貧窮問答歌を紹介して、都(貴族)と地方(庶民)の生活のちがいがわかる。

    その上、都では伝染病、地方ではききんや貴族の争いが起こるなど、世の中が乱れていた。

    ・この時代の暮らしについて、どう考えますか?(振り返り的な要素)

           

    ・みんなが当時の天皇なら、国民の不満をどのように鎮める?(次時へのつなぎ)

 

 

 

7.<聖武天皇はどのように世の中の反乱を鎮めようとしたのかな?>

    ・予想

    ・検証

      ・仏教の力を借りて鎮めようとした

・大仏を作って、国をまとめようとした。
大仏作り

        ・全国各地に国分寺を作った。
国分寺

        ・鑑真を唐から招こうとした。

      ・中国の文化や制度を取り入れて国内を統制しようとした

        ・遣唐使(唐への留学生)

 

 

8.日本から唐に使者を送っていたという事実を確認する。

 

どれだけ危険なことだったのかということを伝えるために、鑑真の写真を見せ、何度も日本に渡航しようとして、失敗を重ねた結果、目が見えなくなった。それでも日本に来た。鑑真が来たかったわけではなく、日本が鑑真に来てほしくて、その理由は日本が鑑真を呼んだからということを紹介する。
鑑真


<どうしてそこまでして遣唐使を派遣したり、鑑真を日本に招待したりしたのかな?>

仏教を広め、外国の文化を取り入れるためだったということを理解させる。

    ・正倉院―宝物

    ・薬草の知識が広がった

         中国風の文化がさかんになった


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