1.<貴族の生活と武士の生活はどのような違いがあるのかな?>

・貴族の屋敷の様子と貴族のやかたの様子を比較する
貴族のやしき
武士の館

・食事を比較する
武士と貴族のくらし


・貴族と武士の力関係の推移がわかるように、平家物語の2枚の絵図を比較して、最初は貴族が上で武士が下、だが最後は逆転していたということに気づかせる。


まとめ
 

貴族と比べ、質素で倹約家だ。そして、出入り口の数が増えていて、出動しやすくなっているということもわかった。貴族が上だったのに、いつの間にか武士が上になってるぞ。



≪武士がどのように実権を握り、政治はどのように進められたの?≫


<平清盛はどのようにして権力を握ったのかな?>

・娘を天皇の后にした。(政略結婚)

・平氏一族で役職を独占している

・源頼朝の父を武力で破る(平治の乱)




まとめ

武士が武力を利用して政治をするようになった。また、政治を円滑に行えるように、娘を天皇の后にして、役職を独占していった。だから平清盛は権力を握れたんだ




1180.8

石橋山の戦いでは、平氏の圧勝(源氏は7人で敗走)



1180.10富士川の戦いを挑み、そのときの源氏の勢力は20万人

(それに対して平氏は7万人)





3.<平氏による政権が続かなかったのはどうしてか>

   ・平氏にみんなが不満を持っていたのではないかな?

   ・平氏が嫌いだったんじゃないかな?

 ■資料(平清盛やしき)配布

   ・平氏が貴族のような暮らしをしているぞ!

   ・他の武士達が召使いのように使われているぞ



まとめ

同じ武士出身の平氏が貴族のような暮らしをして、贅沢をしている。そして、「平氏でない者は、人ではない」という人も居るほど、おごり高ぶっていた。その状況に武士たちは怒りをあらわに。

そして、それまで政治をしていた貴族が、平氏の思うままに政治を行うことに不満が高ぶっていたからだ








4. <どうして頼朝は幕府を開くことができたのだろうか?>

源頼朝

  予想

   ・すごく強かったのではないかな?

   ・褒美をしっかりしていたのではないかな?

  検証:word資料[武士団の始まり]を配付

   ・武士にとって一番大切なのは土地で、それを頼朝はしっかり保証し、分配することを徹底していたから御家人からの信頼を得た。

   ・「ご恩と奉公」の関係

  幕府を開いた




まとめ

頼朝は領地の保証と分与という「ご恩」をしっかりして信頼を得て、頼朝のために御家人が「奉公」するという「ご恩と奉公」という関係で強く結びついていたということがわかる。



その後、頼朝が死に、源氏も3代で途絶え、その後の幕府の政治は将軍を助ける役職の執権についていた北条氏に引き継がれた。

幕府が全国を支配している状況をよく思っていない朝廷

資料(

歴史漫画の抜粋)を配布








5.

資料(後鳥羽上皇からの手紙)を配布
後鳥羽上皇

導入資料:後鳥羽上皇からの手紙001

<朝廷から倒幕を命じられた当時の武士たちはどうしたのだろう?>

  予想                         

   ・朝廷軍について、幕府をつぶしたんじゃないかな?

   ・無視したんじゃないかな?

   ・幕府軍について戦ったのではないかな?

  検証:教科書

   ・朝廷の命令を無視するどころか、朝廷の軍を打ち破った

 どうしてこんなにもたくさんの武士たちは幕府を守り、朝廷を返り討ちにする決断をしたのかな?

・頼朝のご恩が忘れられなかった。だから頼朝が作った幕府を壊すことができなかった。(北条政子の演説

・不安定だった武士団の生活を安定して発展させてくれたご恩が忘れられなかった。



まとめ

逆に朝廷の軍を打ち破った。それは、御家人たちが頼朝のご恩が忘れられなかった。だから頼朝が作った幕府を壊すことができなかったからだということがわかった。




全国の武士が幕府を壊さないように、北条氏が武士の裁判の基準となる法律(御成敗式目)が作られ、幕府の支配力がいっそう強くなった。






6.

その頃の元の様子について知らせる

どのような戦いだったかということを読み取らせる

元軍と日本軍の人数差について知らせる

<どうして日本は元に勝つことができたのか>

・恩賞を得るために一所懸命に戦った

・激しい暴風雨(神風)にあった

検証:[蒙古襲来]を配布

・手柄を挙げて、領地を獲得するために一所懸命だった。

そんなに土地って大事?

・武士にとって、土地はすごく大切なことだから

・土地は家族を住ませたり、収入源だから武士にとっては大事なんだ。





まとめ

元との戦いは、命がけで戦ったのだがご恩の役目を十分に果たせず、ご恩と奉公の関係がくずれ、幕府の衰退へと繋がったと言うことがわかる。この時代の弱点は、土地ありきの関係だったことだ。